9月2日。百年大芸能祭、いのちの祀り。いくのパーク
なんだか、ほんとうに
いろいろすごい、一日で
エネルギーが、地面からわいててでいるような、ことですごいなと言ってみんなで帰る。
言葉にならない、まつり、祀り、祭りってこういうことなんだ。
ひとつひとつの、ことに
心に残ることがある、けれど、今すぐにはこの一片ここに。
ひとのよしもあしも、みつめながら
立ち上るような
生死のさかいに
ひとのまつりの。
たちあわせていただき
描かせていただき、そっとこころより合掌。
桝郷 春美
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おどり念仏が生まれた。9月2日、大阪のいくのパークで開かれた百年芸能祭で。場を率いたのは僧侶の豊島由香さん。約30年、舞台俳優をしている方でもある。
豊島さんの実家は浄土真宗のお寺。親鸞聖人の教え「正信偈」(しょうしんげ)に幼い頃から親しんできた。今では豊島さんがこの教えでお勤めをしている。
そんなれっきとした僧侶の豊島さんが「正信偈」で歌い躍るという、いわば型破りなパフォーマンスにふみきった。それは、けっこう勇気のいることじゃないかと思っていた。が、本人の姿を目の当たりにして、そんな思いは吹っ飛んだ。前髪ちょんまげに花のカチューシャ、素足に破れた靴下。法衣をまといながらもぶっ飛んで見えた。覚悟を突き抜けたところにいる感じがした。
中央で正座し、鐘を鳴らして、両手を前に伸ばして床にひれ伏す。地面から全身全霊で何かを吸い上げているかのように。顔を上げた豊島さんの表情は人間離れして見えた。その瞬間、私は肚の底からカーッと熱いものが込み上げた。目の前にいるのは祈りを捧げる役目を担った存在。
その人は立ち上がり、マイクを持ち、独特のステップを踏みながら縦横無尽に声で空間を広げていく。
やがてお囃子が入り、場に渦が起こる。私も手を引っ張られて前へ、自然と手足が動き出す、心が弾む。あ、躍りたかったんだ。だんだん人の渦が大きくなり場のエネルギーが倍に倍に増していく。
型のない、おのおのの躍り。地の底から這いあがるような、声にならない声をもヒュルヒュルと巻き込んでいくような渦、渦、渦。
体内の細胞が沸き上がる。このまま細胞が沸騰して体が消えるんじゃないかと思うくらい、ただ生命としてここにある、ともにある、こんな感覚は生まれて初めてだ。
締めは豊島さんにならい、みなで手を合わせた。静けさとともに場が閉じられた。
隅っこのほうで、役目を終えて豊島由香さんに戻ったその人がいた。泣いていた。たまらずに駆け寄った、抱き合った、ただ泣いた。悲しいからでも感動したからでもない、込み上げてくるものを抑えきれずに泣いた。
豊島さんが履いていた破れた靴下はお父様のものだと後で知った。病に倒れて入院中、むくんだ足に合わせて豊島さんが靴下の中央を裂いたのだと。
これは関東大震災から百年が過ぎ、理不尽に奪われた命に対する鎮魂と、命を尊ぶ未来に向けた予祝として開かれた百年芸能祭の一コマ。
これからおどり念仏は必要だ。
豊島 由香 その1
9月2日、いくのパークでいのちの祀り百年大芸能祭が開催されました。
参加させていただき、とても大切な時間をいただきました。
みなみなさまに、心より御礼申し上げます。
ひとつひとつの演目に感動しました。
来てくださったみなさんのお姿にも。
チラシの言葉にもありましたが、いのち はびこってたなぁと思います。
会場全体が、うねってるみたいでした。
百年前にも、そのあとにも、理不尽にうばわれたいのちに思いを馳せて、手を合わせさせていただき、お念仏申したとき、繋がりを感じて、関わりのあることなんやとあらためて思いました。
正信偈をとなえて、みなさんと一緒に踊らせていただいて(そんなことは初めてで、今回の機会をいただいたからこその体験でした)、
ほうぼうから、わらわら、わらわらと、みなさんのいのちのそれぞれの振動みたいなものを感じました。今もからだに残ってます。
ほんとうに、ありがとうございました。
豊島由香 その2
少し日が経ってしまいましたが、先日の、百年大芸能祭、あらためてとても大切な1日でした。 出演者としても、参加者としても、特別な時間を過ごさせていただきました。 ご案内の時にお伝えしておいたらよかったなと思っていることがあり、遅ればせながらですが、書きました。文章力がなくて、まとめられず、とても長いです。すみません。
この百年大芸能祭に「正信偈で参加しない?」とお声がけいただいて、とても嬉しくありがたくて、是非参加したいと思いました。 ただ、百年大芸能祭は祈りの場でもあると思うので、「正信偈」(正信念仏偈)は浄土真宗のお聖教ですが、真宗は、お祈りをしないと教わってきたので、そのことが気になりました。私も、よろよろしつつ、お念仏の道を、願われている身として歩むなかで、祈らないことに納得しています。 顔合わせのときに、思い切って「真宗はお祈りをしないのですけど、いいですか?」と聞きました。 勝手に、参加を断られるかもしらんな…と不安になっていたのだけれど、みなさん、受け入れてくださって、とてもありがたかったです。
こんなことを書くと、あの日、皆さんとご一緒させていただいたことや、素晴らしい感想をいただいたことごとをも、何かしら損ねてしまうのではないかと、心配です。でも、そんなつもりはなくて、心から、百年大芸能祭でのかけがえのない体験をそのままに大切に思っています。 矛盾するように思われるかもしれませんが、私は、祈りを大切にされている方々を尊く思うし、そういう場が続いてゆくとええなと思っています。 祈りの世界には、そこにはそこの、私が知らない、理解してない深さがきっとあるんやと思います。学びたいなと思っています。
また、百年芸能祭は、いろんな形で行われていて、語りや、音楽や、踊りや、浄瑠璃や演劇、他の方々でも、祈りとはまた違う形で参加されている方々もおられたかもと思います。 それぞれのいのちが、それぞれのままで在れる場やと思いました。 ほんで、戻って、じゃあ、自分はお祈りしないなら何をしたかったんやと言うと、まず私も、みなさんと一緒に百年前に思いを、念(おも)いを、馳せたかった、理不尽に奪われた命に耳をすませたかった。 私は、昨年まで、関東大震災のあとに、人によって多くの命が失われたことについて、あまり知らなかった。触れる機会はあったやろうに、考えようともしてこんかった。せやから、からだごと向き合ってみたかった。 そして、この今、現在において、百年大芸能祭の、その場に、その時間に、皆さんと共に在りたかった。 今そのものを聞きたかった。 手を合わせ、お念仏申して、正信偈をとなえて、声とからだを投じたかった。 そこで照らされる言葉に、いのちに出会いたかったんです。 (そして、あの日、想像を超える体験がそこにありました)
それから、もうひとつあります。 今回、お正信偈となえつつ踊って、躍ってました。 文章書いてくださった方々も、「おどり念仏」と表現してくださって、なんと!、と、とても嬉しかったです。 お袈裟がわりに古いエプロン、足袋の代わりに破れた靴下をはき、マイクをもってとなえながら、うたいながら、躍りながら、ねりあるきました。 もしかしたら、ご不快な方もおられるかも知れないなと思います。 でも、自分に問うてみます。 私が気にしているのは何やろう? いつもちゃんと正式な儀式のお作法に則ってないと、だめと思ってるんかな? 儀式、型は、それはそれで大事やと思ってて、壊したいわけではない。 せやけど、お念仏は、正信偈は、大事やけど、お仏壇の前でないと、正式な衣を着ないと、口にしたらいけない、という大事さではないはずや。 町中で自転車乗りながらとなえても、お台所で口ずさんでも、大切な人を思って苦しく悲しい夜にベッドのなかでひとりつぶやいてもいいはずや。 ほんなら、あの場で百年前に思いを馳せる皆さんと一緒に、いろんな音に加わっていただいて、となえながら、うたいながら躍ったっていいはず。
また、私は、拙いながらも僧籍をいただいている身であると同時に、ずっと長らく俳優として活動してきました。30年以上です。たくさんの大切なことをいただいてきました。 経緯は、たくさんありますが、百年芸能祭に繋がる人たちとのご縁のなかで、学ばされ、気づかされた時間がありました。たとえば、「正信偈をうたう」という言葉をいただいて、その言葉にのってみたい、と思いました。一人でも試行錯誤するなかで、こころとからだが反応し、進んでいったという感じです。 そして当日。こんな機会をいただかなければ、きっと、一生、しなかったような体験をさせていただきました。 あの日、みなさん各々のいのちの発するものが、場に満ちている気がしました。 場に居合わせた桝郷春美さんが書いてくださった文章が素晴らしいので、あらためてご紹介させてください。
「その人は立ち上がり、マイクを持ち、独特のステップを踏みながら縦横無尽に声で空間を広げていく。 やがてお囃子が入り、場に渦が起こる。私も手を引っ張られて前へ、自然と手足が動き出す、心が弾む。あ、躍りたかったんだ。だんだん人の渦が大きくなり場のエネルギーが倍に倍に増していく。 型のない、おのおのの躍り。地の底から這いあがるような、声にならない声をもヒュルヒュルと巻き込んでいくような渦、渦、渦。 体内の細胞が沸き上がる。このまま細胞が沸騰して体が消えるんじゃないかと思うくらい、ただ生命としてここにある、ともにある、こんな感覚は生まれて初めてだ。」
まさに、いのち はびこってました。 すごかったです。 あの、百年大芸能祭の時間と場所やから、起きたことやと思います。 (ほんで、あとでそのときのこと思い返してて、正信偈の「一切群生蒙光照」が、ぽぽぽーんと思われました。)
みなさん、四方八方というか、くまなくまんまると、ほんまにありがとうございました。 長くなりました。 こんなに長いのにまだ書き足りないこともあるのですが、いったん手を止めたいと思います。
読んでくださってありがとうございました。
牧瀬 茜
9月2日。ますます いのち はびこる 百年 大芸能祭……
いくのパークで開催された「百年芸能祭」に参加、出演しました。
レイシズムからデマが流されされ、朝鮮人の方々をはじめとするたくさんの人々が虐殺された関東大震災から100年。今も、レイシズムや正義が人を殺し、殺人を正当化しています。
加害者も被害者も、その歴史を背負った人も、加害者であり被害者である人も、さまざまに集い向き合うおまつりだったと感じます。私は、学ぶと共に、表現もさせてもらうと共に、自分の内側とも向き合いました。
百年芸能祭、本当にありがとうございました。姜さんはじめ、おまつりをつくっている皆さまと、出演者、スタッフの皆さまに感謝します。
そして、見ていただいた皆さま、お会いできた皆さま本当に本当にありがとうございます。
「百年芸能祭」
この百年、この世の周縁で、どれだけの命が、
理不尽にも口を塞がれ、記憶を封じられ、つながりを断ち切られ、
力や欲の道具にされて、消されていったことでしょう。
われら、今こそ、森羅万象、すべての命に
躍り供養たてまつる!
(百年芸能祭HPより)
私は、沖縄に通い、また辺野古・大浦湾の海を感じる中で生まれた、海と私と戦争にまつわることばとオドリのパフォーマンス、そしてナマステ楽団のお二人と共演しました。子どもたちとも……!
これからまた未来へとつづくこのおまつりと共に、私も、向き合い、表現し続けたいと思います。
松田くばく
先日9/2の百年大芸能祭。
会場にポジティブなエネルギーがあふれる。
怒りや悲しさもあるんやろうけど、なぜかポジティブなものを一番感じました。
そういう場で演奏をし、人と出会うという素晴らしい経験や味わいを頂けたことに感謝。
横Ching、姜さん、八太夫さん、みなさんに感謝します。
ありがとう。
【裏ノ谷通信2023/9/4】
9月2日土曜日に大阪・いくのパークで開催された『百年芸能祭』のプログラムが発表された時に驚いた😱
つい2か月ほど前に知ったばかりの劇作家・精神科医、くるみざわしんさん脚本の浄瑠璃が上演されるという。語りはうらんたん文庫でも2回公演していただいた渡部八太夫さん。これは参加せよという天の声、お導き。
浄瑠璃『鴨居』は、信州のある家の鴨居にひそかに宿る記憶の物語り。
開拓とは名ばかりの侵略・棄民の「満蒙開拓」に加担したことに責任を感じ自死した作者の祖父が題材になっている。30代後半で初めてその理由を知り、書き残さねばと思いながらも言葉を紡ぐまで長い歳月が必要だったと公演後のトークで語られていた。
最後に歌われた「鴨居」に捧げる「挽歌」(作詞:姜信子/作曲:深田純子)で「どうして死んでも死ねないの」と歌う死んだ男。ようやくちゃんと死んでこの先百年また生き続けるのだ。ああ百年芸能祭。
浄瑠璃「鴨居」全編はYoutubeでご覧になれます。
https://youtu.be/4xnok-NU0Lg?si=f4APNOgyqoy8FjW6
7月5日の裏ノ谷通信でご紹介したくるみざわさんの『精神医療連作戯曲集 精神病院つばき荘/ひなの砦 ほか3篇』にサインをしていただきました😍
さらに詳しく知るために蔵書しました。
『幻の村ー哀史・満蒙開拓』
著者:手塚孝典
発行:早稲田大学出版部
2021年7月27日初版第1刷発行
第5章にくるみざわさんの思いが語られています。
佐々木米市
中川五郎 at 百年芸能祭(大阪いくのパーク)
昨日は,中川五郎さんを聴きに,大阪いくのパーク(旧御幸森小学校)の百年芸能祭に。後ろで,タブラと呼ばれるインドの打楽器をたたいているのはディネーシュ・チャンドラ・ディヨンティさん。五郎さん,最後はいつものジャンプだが,やはりスニーカーをはかないと,高くはとべないね。
1時間ほどのライブだったが,昨日歌ったのは「1923年福田村の虐殺」「真新しい名刺」「トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース」の3曲,関東大震災朝鮮人差別三部作といわれるもの。全部まとめて聴くのは初めてである。歌ったのは前記の順だが,作られた順だと,最初が2009年6月「1923年福田村の虐殺」,次が2014年春「トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース」,最後が2015年夏「真新しい名刺」。五郎さんが関西に来るたびに聴きに行きはじめたのは14~15年前の2009年春頃からであるが,佐々木が最初に「1923年福田村の虐殺」を聴いたのは作られた直後ではなく,2013年頃ではないかと思う。それから3回ほど聴いた記憶があるが歌われなくなり,代わりというと何だが「トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース」を歌いだす。何しろ「福田村の虐殺」は長い。2時間のライブの中に入れるのがなかなか難しい曲である。三部作は「福田村の虐殺」が24:00,「椎ノ木ブルース」が17:49,「真新しい名刺」が12:49。ライブだとふつうもっと長くなる。20分以下だとまあ何とかなるが,それ以上の曲は難しいだろうと思う。去年の秋に奈良で「福田村の虐殺」を聴いたときは27分以上だった。この三部作を全部歌うというような企画を考えたことがあったが,先を越されてしまった(笑)。お客さんは来ないだろうなと躊躇していたのが理由だったのですが
金 洪仙
9月2日
大阪・いくのパークでいのちの祀り! 百年大芸能祭
に参加しました。①
朝9時半過ぎに家を出て地下鉄🚇と(市バス)今里ライナーを乗り継ぎ、生野コリアタウンへ。旧御幸森小学校の校舎を生かした「いくのパーク」に着いたのは10時半頃。
それから一日中、大百年祭の最後までいました。10時45分〜19時30分の予定が押して、終了は20時半頃。
スゴイ長丁場でしたが、内容の全てが素晴らしく、こんな大変なことを準備して実施してくれた主催者の友人たちに感謝しかありません。
写真は11時20ー12時の朗読劇『証言集」〜百年前に何が起こったか〜
劇団ENの南澤あつ子さんと宮村信吾さんの迫真の演技と構成‼️
京都から駆けつけて来たキッチン・ハリーナの友子さんと朗読劇を一緒に観た後、昼食。
案内したのは29日に暁光高校の生徒さんたちと先生を案内した「笑顔の豚」です。
食後に「韓菜キムチ」に行って、友子さんも私もキムチを買いました。
その後、友子さんは「大阪コリアタウン歴史資料館」に入り、私は「いくパ」に戻りました。
図書室での「音楽とダンス」はもう入る余地がなく、外でウロウロ。水野阿修羅さんが外のベンチに座っていたので、少し話ました。
それから多目的室に行き、14時からの浄瑠璃「鴨居」の開演を待ちました。
だんだん人が集まり、主催者の予想を超える参加者で、用意した「入場券」替わりのシールは無くなってしまい、
数字(入場者数)を書いた紙が受け付け済み証となっていました。
リハーサル中のため、開場待ちの人が入り口付近に多く集まっていたので、これではダンスの観客が来たらとても入りきれないと思った私は、「混乱を避けるために、廊下に列を作って待ってもらった方がいいんじゃないですか」と、スタッフに進言しました。仕切りたくないのに、ついつい見かねて!
それでスタッフの人が入り口付近でたむろしている人たちに、整列して待って下さいと言ったのです。本当に仕切りたくないのに出しゃばった私です。(๑>◡<๑)
「大阪コリアタウン歴史資料館」見学から戻ってくる友子さんの分の席取りもシッカリ忘れずに。
14時からの「鴨居」は、くるみざわしん脚本です。
くるみざわしんさんの祖父の実話。長野県下伊那河野村で村長を務めた胡桃澤盛さんの封じられて来た「満蒙開拓」の記憶が開かれる。
この話は私は2018年のテレビドキュメンタリー「決壊~祖父が見た満州の夢」を観て知っていました。
「満蒙開拓団」として行かせた大勢の村人を、集団自決で死に追いやった祖父が自責の念に苦しみ自殺したこと。
東大震災の時、19歳だった祖父もまた「自警」の気持だったと、日記に記されていたのを読んでくださったのです。
渡部八太夫さんの野太い豊かな声量の浄瑠璃は見事でした。
てじょん、ふかじゅんのお2人の演奏も良かったです。
そして、くるみざわしん さんのお話を聴けたのは本当に良かっです。
※「決壊~祖父が見た満州の夢」
松中 みどり
時間を作って、途中参加できました。『百年芸能祭』
関東大震災100周年、どれだけの命が理不尽に奪われていったか…。あらゆる命が、ただ命であるだけで尊ばれる次の100年であれと、あらかじめ祝うお祭りです。
本当に素晴らしかったです。尊敬するくるみざわしんさんの戯曲「鴨居」~侵略と棄民の満州開拓に加担したお祖父さんのことを描かれたもの~が浄瑠璃になった舞台は、いきなり心を持っていかれたし、久しぶりに見た牧瀬茜さんの踊りは、人間だけではなく、お魚も、サンゴも、海も、空も、地球も、みんな生きて繋がっていることや、私たちがかつて海から来た生き物だったことを思い出させてくれました。
シンガーソングライター廣石雅信さんの歌の一節が今も耳に残っています。クジラを食べてはいけない理由のひとつに”賢いから”と言うのがあるけど、『アホやったら、食べてもええんかと聞きたくなるなぁ』
そんなふうに心を揺らされていたからか、入管に収容されている人のことで大事な電話がかかってきて、会場の廊下で色々話をしたあと、感情が抑えられずに涙が流れました。
ここにもひとり、夢を奪われ、”殺され”、”食べられ”ようとしている少数者・弱者がいて、私はただ何もできずに自分だけ安全なところに居る…。そんな気がして、たまりませんでした。
みなさまこんばんは、半田そうめんカフェあやなみです。
今日はあやなみをお休みして、藤戸ひろ子率いるミナミナの会として、アイヌ舞踊教室のみんなと、いくのパーク「百年大芸能祭」に参加して来ました。
関東大震災の犠牲者と、震災時のデマで命を落とした朝鮮の人々を追悼して、朝十一時から夜八時まで、唄に踊りにお芝居…たくさんの芸能が奉納されました。
会場には多くのみなさまが集まり、椅子席は満席、立ち見もままならないほどの盛況ぶりでした。
あやなみの地元富田林からも、吉村市長はじめたくさんの方が応援に駆けつけてくれましたよ。
大トリは我々、藤戸ひろ子とミナミナの会の「始まりのウポポ」。
アイヌの大らかで楽しい唄踊りに、みなさま会場から外に出て、一緒になって唄い踊りました。
この百年、私たちは過去の経験から学び、少しは賢くなれたでしょうか。
百年大芸能祭のシンボルは蛭子さんです。
「蛭子は不完全な子だったので生まれてすぐ川に流されましたが、幸せの神として戻って来ました。
我々も不完全な人間ですが、いつか幸せを呼ぶ者としてあらんことを…」
主催者さんの言葉を借りてみなさまに御礼申し上げます。
ありがとう。
イヤイライケレ。
まつだ くばく
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今週土曜は百年芸能祭です☺︎
大阪の生野のいくのパークにて。
生野は少し前に亡くなった父の故郷です。
父は在日コリアン2世で、つまり僕は3世ですね。
父は素朴で優しくてそしておそらく我慢強い人でした。
癌で最期は血を吐いて亡くなりましたが、僕は血を吐くまで父の弱音を聞くことができず、最後まで口を開けば母の心配ばかりしていました。
僕は幼いころに日本国籍に帰化していて、在日のことを全く父からも母からも聞かずに育ち、帰化のことはたまたま大人になるときに偶然知りました。
なので、あまり政治意識も民族意識も僕にはありません。
でも、多くを語らなかった父の故郷の地で歌を歌うことができるのはなんとも言えない気持ちを感じています。
超絶プライベート語りでしんみりすみません(^.^)
そんなことはともかく!!
楽しい芸能やメッセージのある表現がたくさん楽しめる場になると思いますので、みなさんどうぞ遊びに来てください♪